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週刊ダイヤモンド/特集ルポ〜崩れる大学〜面倒見のいい学校出現に危惧する大学の現状〜

ビジネス誌、「週刊ダイヤモンド」の今週の特集は崩れる大学でした。
たまたま店頭で手に取り、中身をぱらぱらとめくっていくうちに、掲載されてる鋭いタイトルの連発に目が点になって、そのままにしては帰れない気分になった次第です。

急激な円高、不安定な日本市場、いかにも危うそうな民主党の政権維持などなど、「大学」でなくとも、いまの日本を世界基準で眺めてみると、やっぱりちょっと「危ない!」と感じる方は多いのではないでしょうか?
毎日が、このままではちょっと心配と思う気持ちが、今回の特集記事の根底にはあるのかもしれません。

そんな日々の社会現象への戸惑いに思いを巡らせながら、今回はみなさんと一緒に、週刊ダイヤモンドのページをめくってみようと思います。
ちょっと重〜〜〜いテーマになりますが、みなさま、最後までおつき合い、よろしくお願いいたします。

週刊ダイヤモンドの見開きのタイトル
  1) 瀬戸際に追い込まれた大学
  2) 大学ルポ・ 生き残り大作戦
  3) 驚愕の学歴ロンダリング
  4) 「財務状況」ワーストランキング

 大学全入時代を迎え、えり好みさえしなければ、誰でもが大学に入ることができるという時代になりました。しかし、その結果、入学定員割れを起こしている大学が、全国の大学全体の4割を越えてしまったようです。
また、いまの大学生たちに目を向けてみると、その大半は、「授業をさぼりはしない。単位が欲しいせいか、律儀に出席する。だが、僕の話をまったく聞いちゃいない」。これは、有名大学の経済学部で教鞭を執る教授が漏らす、現存する大学での授業風景の一例です。
これらの現象の背景には、初等・中等教育で累積された教育制度の歪みが、典型的に表出しているというのです。さらにまた、多くの赤字経営の大学も増え、今後、環境の悪化は間違いなしと言えます。
企業化した大学経営は、多くの経済的課題を山積みさせていると言います。
例えば、生徒獲得の方法について、「欧米式の入学方式」と言えば、聞こえは良いのですが、その実態は、来るもの拒まずで定員を無視し続けてきたことからの歪みなのです。
要するに、学生さえ集めていれば経営ができていた大学に、ついに淘汰の時代がやってきたのですから、そうなると、受験する側は、在学中に消える大学を選ばないようにしなければという、妙なリスクが大学選びの課題に加わることになったのです。
通常の私大は、過度な学生集めはできないことになっていますが、「私学助成金」の補助を受けない方法で、独自の生徒獲得による学校経営を優先させるという方式で、お金の縛りを受けない独自路線で経営を考える学校が増え続けた結果、予想通りの定員に届かずの現象が派生した途端、一気に経営危機へと加速する大学が増加するという悪循環に陥っているのが現実なのです。

特集紙面では、全国の「危ない大学30」の学校名一覧が掲載されています。
掲載根拠としては、(1)外部による学校評価 (2)情報開示 (3)国の私学助成を受けられるか否か〜これら3点に加え、財務状態を加味した評価から選出された学校名が、ずらり並んできるのはちょっとスリリングです。

創造学園/愛国学園/日本薬科大学/成美大学/近畿医療福祉大学.....と、続きます。
知っている大学はないか、近畿圏にはどのくらいあるのか、等々、紙面を追いながら、大学の現状に愕然としてしまいました。

ここまでくれば大学も生き残りに必死です。事実、「大学全入時代」とともに、変質してきている学生に対して、ますます生徒獲得は厳しくなる一方です。そこで急浮上してきたのが「AO・推薦入試」制度。本来、AO(アドミッション・オフィス)とは、面接、小論文などによって、合否を決める入試方法で、これは、大学が求める生徒像と照らし合わせて合否を決定するという目的で実施されてきたのですが、いまではほぼ過半数に届く「AO・推薦入試」の現状は、「学力不問」の生徒たちの出現で、学力テストが免除されるAO入試によって首尾よく合格をゲットした学生たちの数が、一般入試の学生数を遥かに上回ることになり、新たな課題として大学では、「学生集め」と「学力不問」の二極化が起こっているのです。

かつてのように「AO入試」によって、優れた人材に出会える可能性は薄まりつつあるのも事実です。
「独創性があり、自律的に学習し、国際的な視野を備え、英語で受講する能力を備えた人材」を、現在のAO入試から発掘することは、現状では極めて難しいことです。
なぜなら、オープンキャンパスなどで受験を勧め、学生を青田買いすることと「AO入試」が直結しているからです。要するに、あまりにも緩すぎるというのが、いまの大学の現状なのです。
この他、いま大学で現実に起こっている異変を総括してみますと、大学生の基礎学力低下が起こり、リーマンショックによる就職難で、ますます「面倒見のいい学校」が脚光を浴びるという、奇妙な現象が浮き彫りになってきていることです。
では、大学がいったい何をしてくれるかというと、例えば、中学校レベルの数学からの復習/夏期集中講座による学習指導/綴りがわからないときの英語はカタカナで書いても良い指導/勉強の仕方・ノートの取り方の指導と相談などです。

しかし、なぜいま大学が、こんな手厚い関わりをするの〜とびっくりしますが、これらは「セイフティーネット」と称し、学生の望むことはすべて提供するというのが、面倒見のいいと言われる今日の大学の風潮なのです。
「強制や義務ではなく、意欲を持って自発的に取り組んでこそ、学生は学ぶ幸せを感じる」と、面倒見のいい大学として再生した聖学院大学の学長は、「面倒みて、伸びるように」が、大学のキャッチフレーズでありマニフェストだと、豪語しています。

ついに日本の大学は、読んで字のごとくの、ただただ大きな学校になってしまったのでしょうか??

何を学びたいか、そして、何のために学びたいのか、まずはそれを自らに問うところから、「学び」を再構築する必要があるような気がします。

誰かのためにではなく、自分自身の学びのためにです。

私もかつて30歳近くになって、ドイツで6年間の大学生活をしたことがあります。
たまたまの偶然だったのかもしれませんが、しかしあれほど真剣に学べたことは、これから先も忘れることはありません。

人生と学びは共に続く永遠の関係にあると思います。できればこの関係の持続が、すべての人に届くことを願いたいと思いますが、いかがでしょうか?

いまも、そしてこれから先も永遠に、「学ぶこと」の醍醐味がなくなってしまわないことを、願わずにはいられない特集記事でした。

〜たちのゆみこ〜