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あなたは体罰を受けたことがありますか??ー悲劇をくりかえさないためにできることー

朝日新聞 between 読者と作る紙面に掲載されていた記事から「悲劇をくりかえさないためにできること」のタイトルが、とても気になり今回のめーるきっず通信で、編集してご紹介します。

昨年末から、世間が注目した「大津いじめ事件」の報道を機に、教育現場での一連の記事がたくさん取り上げられました。

報道競争に拍車をかけるように、専門家と称する多種多様な先生方からのコメントも、テレビや新聞を賑わせました。
いずれも「解決」を願っての報道でしたが、どれが正解なのかを決めることの難しさからか、心が晴れることが無かったのも正直な気持ちです。

さて、今回ご紹介する記事は、大阪の高校で、部活動の顧問に繰り返し殴られていた男子生徒が自殺するという痛ましい事件が起きました。この悲劇を繰り返さないためにできることを考えたくて、体罰の「実態」を考えました・・・と、書かれたものです。

be-tween から編集
学校教育法(1947年)で、体罰は禁止されています。
しかし、「体罰を受けたことがある」と答えた人は今回の調査でも過半数を越えました。また、そのうち4人に3人は、教師から受けたことがあるとの回答でした。
「教師は兵隊帰りで、体罰に躊躇しなかった」と答えたのは74歳の男性ですが、旧軍隊の悪習の名残を感じさせるような答えですが、このような体験者は、遺憾ながらすべての年代に渡っていることが今回の調査で判明しました。

例えば、
「集会に遅れたら、教師に殴られた」54歳女性
「小学校で体育教師の機嫌が悪いと理由も無く殴られた」45歳女性
「中学の生徒指導の教師は先輩をボコボコにしていた」39歳男性
「80年代初頭、校内暴力の嵐が吹き荒れる中学に赴任。私がそこで学んだのは力で制するという手法でした」54歳女性
「校内暴力が問題になっていた中学時代、教師による体罰は日常化していた」44歳女性

体罰の是非についての問いに対して、「暴力であって、教育ではない」「指導者の能力不足」と厳しい批判が圧倒的である一方、「善悪や厳しさを教える事は重要で、ときには体で覚えさせようとすることも必要」という現実主義や、「理由がわかっていてお互いが愛情、信頼を感じる場合はいい」との条件付き容認も少なくないのも現状のようでした。

しかし、いくら「愛のムチ」といわれても、それをそのまま受け入れるのはやはり簡単ではないでしょう。

調査の結果、体罰を受けた半数近くが「自分が悪いので仕方ない」と受け入れ、4人に1人が「反省し、行動を改めた」と答えていますが、ここでも「相手が理不尽だと思った」が4割、「反感、恨みが後まで残った」が3割以上に上り、65歳になる今も忘れられない記憶の中に、教師から受けた理不尽な言動や暴力に納得できない人がいて、体罰が心に残した深刻な傷痕の例は、予想を越えています。

「愛といっても、叩かれれば痛く、反省より反感の方が強い」
「信頼していた担任にクラス全員の前で殴られた。自分に非があったものの、その後の学校生活になじめず暗い生活を送った」
「体罰は愛情からというのは大ウソ、あるのは憎しみだけ」

これらはすべて50歳を有に越えた方々からの回答です。

そして、今回の記事の最後に、「体罰の表面的な効果に依存し、本来の教育方法を考えないようになる危険性がある、また、一度やると、即効性に止められなくなってしまうことを、子育てや教育に携わるすべての者が肝に銘ずべきことです」と、記されていました。

今回の記事を読んで、体罰を受けたことがあると答えた人の大半が、「教師」によるものという調査結果に唖然としました。
また、そのことに拍車をかけるように、高校を終える18歳までに体罰を受けたことがあると答えた人が全体の8割を越えているのです。

そして、その誰もが、「自分が悪いので仕方ないと思った」と体罰に甘んじているのも現状でした。
だからでしょうか、自分以外が体罰を受けるのを見聞きしたことがあっても、何事もなかったかのようにそばを通りすぎてしまっていることが、今回の調査で浮かび上がっているのもショックでした。

また、今回の調査の回答に寄せられた、「しつけのつもりだったが、よくよく考えれば、子どもへの体罰は子育てのストレスからだった」と悔やむ母親からの意見も多かったとか。

いまこそ、私たちは、「体罰」を見過ごさずに解決するすべが、どこにあるかを考えるときではないでしょうか?

子どもたちの成長はさまざまで、具体的な結果が出るには相当な時間と努力がそれぞれに必要です。
それは、決して特別なことではなく、誰もが通る成長の道筋にある、さまざまな出来事を体験することに意味があります。
だからこそ、成功体験ばかりを追いかけるのではなく、ときには「失敗だって必要」「ちゃんと困ることも大事」ということです。

願わくば、どの子どもにも訪れるであろう成長の試練が、喜びに満ちていることであって欲しいものです。
たくさんの出会って欲しい大人の存在に支えられながら、その子がその子らしく生きていく道筋を、見極めることができたらと願います。

「生命」を大切にと正論で声高に叫んでも、子どもたちの心に届かないことを、大人の私たちはもっと真摯に受け止める必要があると思います。

もちろん、これも正解では無いかもしれませんが、少なくとも、私自身、この先も子どもたちと正直につき合っていけたらと願っています。

子どもたちとの出会いが、未来を作っていく礎になることを祈ってです。

たくさんの悲しい出来事と遭遇しなければならなかった多くの子どもたちの生命への鎮魂をこめて・・・、今月のめーるきっず通信をお届けします。

たちのゆみこ