日が暮れるのも忘れて夢中になった公園のブランコ、我が子と一緒にはしゃいだシーソー、落ちないかなとハラハラしたすべり台・・・など。
公園の遊具には、たくさんの思い出とともに、人生のさまざまな場面が刻まれています。
そんな懐かしい記憶と、たくましく育った『昭和の子どもたち』のものがたり特集を見つけました。
朝日新聞beランキングの記事を参考に、今月のめーるきっずでは、『昭和の子ども』のあそび事情を検証してみようと思います。
ランキングの調査方法は、朝日新聞デジタル会員への無作為アンケートで、編集部が選んだ公園にある30種類の遊具リストから、自分が好きだった遊具や、我が子や孫が夢中になっていたなど、思い出に残る遊具をいくつか選んでもらう方式で、1位~20位までを抽出した結果が公表されました。
1位のブランコについては、「思い切りこぐと空に近づいたような気分がした」とか、「ケンカしても隣り合せでこぐと仲直りができた」などの詩的な思い出が寄せられています。またその一方で、地面と並行になるほどの立ちこぎをしたとか、2人乗り、靴飛ばし、鎖をねじって回転などのワイルドな記憶も多くあり、飛距離を競う飛び降り競争では、「前の柵に腹をしたたか打った」などの武勇伝も多数ありました。
また、この他、ブランコについての思い出は、単なるスリルだけでなく「いまは、もう高齢で恥ずかしけど、誰も見ていなければ、もう一度、乗ってみたい」などと、ゆらゆらと揺れるブランコの魅力は、幅広い世代と性別を超えて支持されているようです。
2位のすべり台については、順番待ちをして並んだ記憶や飽きずに何度も上り下りしたことなど、待っている間のドキドキ感やワクワクした気分を思い出して、「良い時代だったなぁ~!」と回想する人もたくさんです。
3位のシーソーは別名を、「ぎったんばっこん」と呼んでいたと言う記憶や、『「夫」対「子どもと私」で乗っても、いつも夫の方に傾いていたのが、いつの頃からか夫が上になってしまった』と言う、子どもの成長や家族の歴史に寄り添う思い出がいっぱい詰まっていて、何とも微笑ましいエピソードがたくさんです。
公園遊具のランキングから、「思えばよく大きなけがもせずに育った~」と、多くの人が述懷するように、『昭和の子どもたち』のやんちゃ振りは、打ち身、すり傷、骨折、失神などの体験談がたくさんありますが、そんなちょっと痛い思い出を振り返りながらも、「確かに危ない遊び方もしたが、その経験から学んだことも多い」と言う意見や、「痛い思いをしながらも、危険を察知する能力や判断力を養い、身体を鍛え、ルールを学び、できない悔しさや、あきらめない気持ち、できたときの喜びを体感することができた」などと、毎日の遊び方がいまの子どもたちと大きく違っていたことから、逆に、いまの子どもたちにこうした機会が少なくはないだろうかという声も多く寄せらています。
自治体などの調査によると1990年代後半から、全国の公園遊具の老朽化が一気に加速し、このことが原因での事故も多発したために、安全対策から公園遊具の撤去が進んだことから、子どもたちの遊び方が大きく変わったのも事実です。
『安全性』を重視するのはもちろんのことですが、大人が見張ってばかりせず、もっと自由に子どもたちの遊びの世界をつくらせてあげたいと願う気持ちを、どのように両立させることができるかは、昔と比べると簡単ではなくなってきている現実があります。このことと、どう向きあえばいいのか、その辺りの悩みは大きくなってきています。
自分自身の子ども時代を振り返りながら、ワイルドだったかどうかはさておき、昨今の子どもたちの遊び方の様変りの背景にあるものは何か?? ちょっと、気になる元・『昭和の子』のわ・た・しです。
みなさんは、いかかでしょうか??
たちのゆみこ