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新刊紹介ー 犬たちの明治維新 ー

犬たちの明治維新

その昔・・・っと言っても、まだそれほど遠くない『明治維新』を、迎えようとしていた頃のお話です。

突然ですが、今では、「ワンちゃん」と言えば、私たちの生活に欠かせないペットで、その存在は、ときには家族の中心だったり、または、誰が家族の中で1番大切か〜なんてことを議論する方が可笑しいと思われるくらい、「ワンちゃん」は重要な存在になってきたと言っても過言ではないでしょう。

そんな現代の「ワンちゃん」の存在からは、なかなか想像できない『犬たち』に、焦点を当てて書かれた本と出会いました。

タイトルも、ずばり、『犬たちの明治維新』です。

それでは今月の「めーるきっず通信」は、この1冊をご紹介しながら進めていきたいと思いますワン〜♪

この本の著者:仁科邦男氏によると、『人と同じように、犬たちにも開国があり、幕末があり、明治維新があり、文明開化があった。しかし、犬の歴史は、人の歴史の中に埋没し、犬が激動の時代をどのように生きてきたのか、顧みられることはなかった。埋没した犬の歴史をいつか世の中に出してみたい、と思いながら史料調べをしてきた』と、その思いが、この本の文末「おわりに」に書かれています。

史料によると、日本の犬の歴史は、かつては個人の飼犬ではなく、そのほとんどを占めていた里犬(町犬、村犬)が、明治維新を境に絶滅の道をたどっていたことは知られていません。
里犬は町村のいたるところに住み着き、そこの住人に養われていたのです。
今風にいえば、「地域犬」と言うことです。
彼らの主な仕事は、不審な人物が現れると吠えたり、子どもたちの遊び相手になることでした。

秋田犬、甲斐犬など、各地に生き残った日本犬についての文献については、立派な研究もあり残っていますが、今回著者が関心を持ったのは、もっとありふれた普通の犬たちについての歴史で、著者は、あえてそれらの犬たちに焦点を当て調べた〜っと言うのが、この1冊に登場する「犬たち」の暮らしぶりです。
また、テーマを『明治維新』にしぼったために、明治天皇と西郷隆盛など、歴史上の人物と犬についても書かれています。
さらに興味深いところでは、なぜ「ポチ」を名付けられたのか〜?の仮説に基づき、『ポチの誕生』の秘話もあります。

そして近代、戦時体制下の日本では、犬もご奉公として、『供出』で、日本中から犬が消えた過酷な体験もあったことが書かれていますが、幕末から明治維新を経て、日本の犬が近代化していく過程で、飼犬化、雑種化、その他、悲喜こもごもの出来事と遭遇してきた犬たちにとって、もっとも悲しい史実が、『供出』だったに違いないと記されているのも印象的です。

江戸初期の頃まで、座敷犬として手厚く扱われていた「狆(チン)」以外の犬のほとんどは共同体で飼われるのが普通でした。
そしてまた、当時の大名が盛んに行っていた鷹狩りのための鷹の餌として「犬肉」が必要だったために「御鷹餌犬」として飼育されるようになったのが、そもそも犬を飼い始めるはじまりだったそうです。
しかしその後、将軍綱吉の時代に発令された「生類憐れみの令」によって、犬たちは「飼犬」と「無主犬」に分類されましたが、「無主犬」の多くは、不特定多数の町や村の人たちから餌をもらって生きるようになり、町犬(村犬)たちは、特定の飼い主があらわれない限り、各地の犬小屋に保護されながら生きたというのが開国まで続いたそうです。この頃は、逆に飼い主がいる犬の方がまれで、ほとんどの犬は、町なり村なりの共同体の中で生きて死ぬのが、もっとも自然な、開国までの日本での人と犬の関係だったようです。

さて、時代はいよいよ開国へ〜!!
・・・と、その前に、この開国にまつわる「犬」のお話を。

嘉永7年(1854年)3月10日、午前零時すぎ長州藩士・吉田寅次郎(松蔭)は、弟子の金子重之助と横浜村の浜辺に立っていました。沖にはペリー率いる7隻の黒船が停泊中。
曇天で上弦の月がわずかに出ていましたが、この夜は厚い雲に閉ざされていました。それでも暗い海に浮かぶ船影はくっきりと見えていました。黒船への密航を企て、小舟を盗もうと横浜村にやってきた、そのとき、浜辺をうろつく不審な二人に気づいて、村犬が集まってきたのです。
村犬は不審者たちが、自分たちのテリトリーから立ち去るまで、つきまとい吠え続けました。この騒ぎで村人が起き出せば企ても露見して、すべてが終わりなってしまいます。
「舟を盗むのは無理だ」と、松蔭は金子に告げ、この日の横浜村からの密航は、断念するしかなかったのです。

人の歴史の合間にちらちらと犬の姿が見え隠れする〜、さてみなさん、この史実どのように思われますか?

その後、松蔭は下田で再び小舟を盗み、計画を実行します。
しかし、盗んだ小舟に、自らの荷物を残したままペリーの軍艦に乗船したため、密航後、「舟の荷物で、いずれは消息が知れる〜」と、密航失敗後に、自ら自首をするのです。

このように日本人の海外渡航が禁じられていた江戸時代、当然のことですが、犬も海外に出ることはなかったのです。
しかし皮肉にも、松蔭が関知することなく、日本の犬は、ペリー艦隊によって、はじめて太平洋を渡ったそうです。
余談ですが、はじめて海を渡る犬と、海を渡り損ねた松蔭が、同じ舟の上で交差していたことになります。
日本の近代化、西洋化が、はじまる前の象徴的な出来事が松蔭の密航未遂事件と重なっているのは驚きです。
いずれにせよペリーによって日本の犬もまた開国したということになります。

この他、この1冊の中に取り上げられている犬と人の話題は、実にたくさんあり、そのどれもが、丁寧な史実調査に基づいて書かれています。

例えば、神武天皇以来、最もたくさんの犬を飼っていたのが、明治天皇だったと思われることや、奈良時代の頃、天下の安寧、飢饉や洪水の鎮静を祈願して、生き物を放したこと。
また、仏教の影響を受け、歴代の天皇が、何度も放生の詔を出されていることなどが書かれています。

また、開国とともに西洋からやってきた異人(外国人)たちが所有する洋犬を、なぜか当時は、みんな『カメ』と呼んだ逸話など、思わず笑ってしまうようなエピソードです。

 

では、その内容とは・・・?!

〜『カム・イン』『カム・ミイ』説〜
明治文化の研究者として多大な功績を残した石井研堂による大著:『明治事物起原』から、洋犬をさして「カメ」と言ったのは、「カム・イン」「カム・ミイ」と犬に声をかけているのを聞いて、西洋の犬は「カメ」と呼ぶのだと思った人がいた〜っと言うのが、そもそもの理由で、これが正解かどうかは言えないが、幕末に横浜で刊行された英米人向けの日本語会話の本に、犬のことを「カム・ヒア」と明記されていたそうです。
「カム・ヒア」を「カメや」と聞き違えて、犬がカメになってしまったというお話です。
その後、日清戦争がはじまるまでの40年ほどの間、洋犬=カメが、日本中に広がっていったそうで、日本の犬事情もこの頃から、大きく変貌したと言えるかもしれません。

紙面の都合で、犬にまつわるたくさんの史実そのすべてをご紹介することはできませんが、犬たちが遭遇した悲喜こもごもの出来事は、とても興味深いものでした。

それでは最後に『ポチ』の名前の由来を、少しご紹介して物語を終了させていただきますワン〜♪

明治43年7月2日発行の朝日新聞に、犬の名前調査結果が発表されました。
『犬の名前を、いつ頃から、どこでどうしてつけたものかは、ちょっと分からないが、目下、愛犬流行の折から、犬の戸籍までこしらえた今日、犬にはどんな名前が多く付けられているか、160頭あまりについて調査したところ、おもしろい結果を得た』とあって、犬の名前と頭数までを列挙して紹介されたことがあります。

1)ポチ  2)ジョン 3)マル 4)クロ 5)アカ
6)ポーチ 7)ボチ 8)チイ 9)シロ 10) ハチ
・・・と続きます。

ここで『ポチ』の語源について紹介しますと・・・、ポチ『英:spottie』犬の呼び名。
spotは「点」の意味で、spottieは、その愛称的指小辞のついた形。犬の名としてよく使われ、それが借用されたものと思われる。

愛称的指小辞とは聞き慣れない言葉ですが、「点」を意味するスポットが、犬の愛称になるときにスポッティに変化したことでポチの語源として有力。
さらに「pochi」とは、パッチワークのパッチで、犬の斑紋もパッチということろから来ているそうです。

文明開化の日本。
開国と同時に、たくさんの外国人が一気に押し寄せて来た日本。
普通の人々の生活の様変りも、急速だったことでしょう。

また時を同じくして、犬たちを取り巻く環境の変化も予想を遥かに超えて大きかったことでしょう。

個人で犬を飼う習慣が、日本人の間に根づいてから、まだほんの少ししか時代を経ていないと言うことも、正直、驚きの事実でした。

いろいろ、勉強になりましたワン〜♪
〜ということで、今月の「めーるきっず」、この辺りで終了させていただきます。

たちのゆみこ