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美味しい秋・あなどれない脇役のお話しー「ふりかけ」は「FURIKAKE」になるかもしれない〜?!ー

秋たけなわ、みなさま、どんな美味しい秋を満喫されていますか?

今月のめーるきっず通信は、またまた美味しいお話を、みなさまにお届けしようと思います。

突然ですが、新米の季節、白いご飯は、もちろん、白いご飯そのままでも美味しいのですが、「ふりかけ」をご飯にかけると、白いご飯が、もっと、もっと美味しくなって、魔法のように食欲をそそる〜という経験をお持ちの方はおられませんでしょうか?
では、今では当たり前のように愛用されている「ふりかけ」は、いつ、どこで、どのようにして誕生したのでしょうか?

そんな疑問に取り組んだ一冊を見つけました。
『ふりかけ 日本食と思想』(学陽書房)です。
著者のお一人の食文化研究家の熊谷真菜さんによると「ふりかけ」の歴史や広がりを調査していく中で「ふりかけ」誕生のルーツを発見と記されています。

「元々は、とれすぎた小魚や海藻、出汁をとった後の鰹節などを捨てずに再生する知恵だったのでしょう。決して主役になる食材ではなく、どちらかと言うと『ふりかけなんか〜』と言われてしまう脇役的な存在なのですが、ご飯を主食とする日本人の食生活にいつも寄り添ってきた、決してあなどれない存在であることも事実なのです。」と書かれています。
また、ご自身の子ども時代を振り返ってみて「私にはあこがれでした。でも親は『おかずがあるのにふりかけなんて・・・』と、決して良い顔はしなかった。それでもふりかけには不思議な魅力がたくさんありました」と。

さらに、全国ふりかけ協会監修の冊子の『ふりかけ食品の起原』によると、商品としての「ふりかけ」は、大正初期、熊本の薬剤師、吉丸末吉氏がカルシウムの不足を補うために小魚を粉末にして味付けし、胡麻や青のりを加えて作った「御飯の友」が、そもそものはじまりだと言われているそうです。

当時の国策としてもカルシウム不足を補うことは、大切なことで、薬剤師の吉丸末吉氏は、特に成長期の子どもたちのカルシウム不足を補うために魚の骨を粉にして食べることを思いつき、単に、小魚をまるごと乾燥させ粉末にするだけでなく、調味していり胡麻、けしの実、青のりなどを加えて魚臭さを抑えることで、ご飯にふりかければ魚が苦手な人でも魚だと気付かずにおいしく食べられるようにと考案した「御飯の友」という商品が、現在ある「ふりかけ」の元祖だといわれています。
また、その当時、販売された「ふりかけ」は、容器も横から見ると実験用の三角フラスコに似た形で、底面が八角形の瓶が採用されましたが、これは、吉丸氏の薬剤師としての経験から、湿気を防ぐために瓶口を細くし、中身も多く入るように底を広くして、長期保存にも耐えられるという工夫がされたためのようです。

さらにまた、「御飯の友」の誕生から数年経った大正14年(1925)福島市の食料品店の主であった甲斐清一郎氏が、いしもちという白身魚の身を乾燥させ粉砕して昆布の粉末と混合し、醤油ベースの調味料で煮込んで乾燥させたものに、のりや胡麻などを加えた「ふりかけ」を発明しました。
当時、これが、大変に美味だったので、「是(これ)はうまい」と命名し販売を開始、するとたちまち、好評を博します。
甲斐氏はこの商品を持って東京へ進出し、本格的にふりかけ事業に乗り出すことになりました。
何と、これが、後の大ヒット商品「のりたま」を世に出した丸美屋の起源なのです。
当時、「是はうまい」は、三越デパートで販売され、かなりの高級品として扱われ、評判も高く好評を博しました。
今では庶民の味方の「ふりかけ」ですが、当時は白米を食べられる階級、つまり都市部の一部の階級の食べ物だったと言う訳です。

その後、さらに静岡や広島など各地で新たな「ふりかけ」が誕生し、市場も広くなっていきます。この時期の「ふりかけ」は、魚粉などにのりや、ごまや、しそなどを混ぜたもので、「御飯の友」「露営の友」「遠足の友」「子どもの友」など、メーカーも30〜40社とどんどんと広がりをみせます。
ご飯が当たり前になった時代の、不思議な魅力のある食材の一つだったようです。

そしてまた皮肉にも、「ふりかけ」が全国に普及したきっかけの一つに、軍隊との深い関係があることが記されています。

昭和3年(1928)の奉天事件を契機に大陸へ多くの軍隊が動員されるようになりましたが、その兵士たちへの慰問袋のほとんどには、かならず「ふりかけ」が入っていたという記録が検証されています。 兵士たちは戦地で「ふりかけ」になじみ、帰還後、出身地に戻りその味を各地で伝えていきます。

ちなみに、現在でも自衛隊では、「ふりかけ」が支給されているそうですが、これは現在、熊本で発売されている「御飯の友」と同じものだそうですし、また、熊本では、学校給食でも出るなど、「ふりかけ」は、今でもとても身近な存在なのです。
〜と言う訳で、大正時代に生まれた「御飯の友」は、若干の改良を経たものの、現在も熊本のメーカーから同種のものが発売されているというから驚きです。

ひょっとしたら、「めーるきっず」通信を、読んでくださってる方の中でも、『それ知ってる〜!!』と言う方がいらっしゃるかもですね。

さてここからは、「ふりかけ」の、未来についてお話ししてみましょう。

それは、「ふりかけ」が「FURIKAKE」になると言うお話です。

「ふりかけ」のふるさと熊本から、「ふりかけ」を通じてアジアの子どもたちを支援する活動がはじまっています。

広告・企画会社を経営する松江慎太郎氏が2013年に設立した『国際ふりかけ協議会』というNPOです。
この活動はタイ・ラオス・ミャンマーなどの学校に「ふりかけ」を寄付する運動で、「経済発展したアジアの国でも地方に行けば、今でも栄養が不足しているところがたくさんあります。そこで、軽くて賞味期限が長い『ふりかけ』は、そんな国々の子どもたちの支援にぴったりなんです」と、松江さんは熱く語ります。

『国際ふりかけ協議会』では、世界に目を向けてみて、同じご飯食文化圏の韓国や中国では、「ふりかけ」は、まだまだマイナーな存在ですが、不思議とタイやラオスではとても人気があります。
それらの国々では、フレーバーも豚肉、川エビ、トムヤムクンなど、支援を進めていく国々での地域性が加味され、新しい「ふりかけ」=FURIKAKEが開発・生産されているそうなのです。

最初は地域おこしを目的に着目していた松江さんも、おかゆにトッピングするファーストフード店の展開など、アジアの食文化とマッチする「ふりかけ」が、今後、「FURIKAKE」として経済効果も視野に入れたビジネス展開していくことを模索しているそうです。

ご飯がなければ、おそらく「ふりかけ」は誕生しなかったでしょう。

また日本では、ご飯の調理に塩や香辛料などを使わず、水だけで炊いたシンプルな「白ご飯」を大切にするがゆえに、味をトッピングする「ふりかけ」が定着したのかもしれません。
奇しくも「ふりかけ」が誕生した時代に、カレーライス、親子丼、カツ丼など、今ではおなじみのご飯メニューが誕生しています。

このように「ふりかけ」の歴史を振り返ってみて分かったことは、日本食の近代は、ご飯にとっても、私たちの食文化を変えてしまうほどに、新しい時代のはじまりだったようなのです。

さて、みなさま、あなどれない脇役=「ふりかけ」のお話は、いかがでしたでしょうか??

あっ、そろそろ、お腹が・・・?!
それでは、みなさま、美味しい秋をご満喫くださぁ〜〜い♪♪

たちのゆみこ