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アリス・イン・ワンダーランド〜新書『謎解き「アリス物語」』を読んで〜

いま話題の映画、『アリス・イン・ワンダーランド』、もうとっくに観にいったという方も多いのではないでしょうか?
残念ながら私はまだ、そのチャンスがないため、テレビで映画のテロップが流れるたびに「観たいな〜!!」と独り言を言ったり、周りの人を映画に誘ってみたりしていますが、実際には、まだそのチャンスがなく今日に至っています。

アリスは、ず〜〜っとず〜〜〜っと昔、ディズニーのアニメーションや、子ども向けの絵本などで親しんでいたという記憶しかありません。
たまたま最近、中学英語のテキストに「ハンプティー・ダンプティー」が出てきて、スラスラっと英文を読んで聞かせて、子どもたちをアッと言わせたことが、ちょっぴり自慢できることです。
そこで、ふっと思いついて、ルイス・キャロルの原作を読んでみようかな〜、と本屋さんに行ってみました。

キャロル独特の言葉遊びのおもしろさは英語で書かれた原文で読んだ方がより楽しめる…と聞いたことがありますが、そうは言っても、ちゃんと最後まで読み通せるかいまいち自信が…と思っていたところ、こんな一冊を見つけました。

英語で書かれた原書の魅力をわかりやすく解説してくれる新書、『謎解き「アリス物語」』(PHP新書)です。
著者は、長年アリスを研究している稲木昭子・沖田知子の両氏で、『不思議の国』に比べて『鏡の国』が知られていないことから、両方の要素を盛り込んだ新書を書かれたそうです。
文頭には「アリス物語は、老いも若きも多くの大人たちを惹きつけ、読み継がれています。『8歳から88歳までの子どもが楽しめる本』と言われるのはなぜでしょうか。そんなアリス物語の謎解きをしてみたいと思います。そして、本書を読んで、アリスの原書を読んでみたいと思ってくだされば望外の喜びです。」と。

さて前書きが長くなりましたが、この辺りで、みなさんと不思議の国を訪ね、アリス物語の謎解きをはじめてみましょう。

まず、『不思議の国のアリス』の原案は、1862年の陽光が降り注ぐ夏の日、舟遊びのつれづれにアリス・リデル(当時10歳)というたった一人の女の子のために語られたお話だったといいます。そもそもお金や名誉のためではなく、小さな女の子を喜ばせたい、楽しませたいという一心でつくった物語だったからこそ、今なお子どもはもちろん大人をも魅了するエヴァーグリーンな作品になり得たのかもしれません。イギリスの田園風景の中に引き戻されたような、川面に浮かぶ小舟の上で、目を輝かせてキャロルの話に聞き入る小さな女の子の姿までが浮かんでくるようです。

アリス物語の作者は本名を、チャアルズ・ラトウィッジ・ドドスンといい、ペンネームのルイス・キャロルは、本名の一部をラテン語表記にしてから、さらにその順番を入れ替え、その上それをまた英国風に戻して作られたそうです。
ここでも、作者の遊び心と、こだわりが並はずれていたものがあることがうかがえます。
早くから、数学の才能と「度を越した言語遊戯癖」があるといわれて、文理に渡り才能を発揮し、オックスフォード大学を卒業後は母校にとどまり、生涯独身のまま、ほとんどを大学内で過ごしたそうです。
この間に数学や論理、言語のパズル、詩集や物語などを次々と発表、しかし、ルイス・キャロルと呼ばれることを嫌って、人名辞典への掲載を拒んだそうで、さらにはルイス・キャロル宛のファンレターなどは、「受取人不明」として送り返したという徹底ぶりです。
また、逸話として有名なのは、キャロルの名前で出した『不思議』が気に入ったヴィクトリア女王から次作を所望されたときに、難しい数学の行列式の本をわざわざ贈ったといいます。

アリスのお話そのものが、まだまだ謎多い部分を持っていると言えるのは、キャロルの人となりだけでなく、ナンセンスと見せかけて、その裏に何か脈々と流れるキャロル自身のこだわりと遊び心と、秩序ある仕掛けがあるからだと思われるのです。
ことばと論理を種にした遊びを楽しみにしながら、当たり前が当たり前ではない世界への冒険と挑戦をますますやってみたくなりますが、いかがですか?

たとえば、最も有名な「終わらないお茶会」の場面。なぜ、お茶会がいつまでも終わらないのかにはちゃんと理由があったのです。

マッド・ハッター(帽子屋)とアリスの会話に、不思議の国での時間(time)は、Timeと大文字ではじまる固有名詞として表現されているので、(概念としての時間ではなく)「時漢」として人並みの扱いをしなければならない、というくだりがあります。ところが、帽子屋がコンサートで下手な歌を歌ったときに、ハートのクイーンが「He's murdering the time!(帽子屋が韻律を乱し拍子はずれの歌を歌っている)」とけなします。
それを聞き付けた時漢が、この進行形のmurderを殺人未遂の「帽子屋が時漢を殺そうとしている」と文字どおりの!? 意味に捉えて機嫌を損ねることに。以来、時漢は6時のお茶の時間のまま動かないので、お茶ばかり飲んでいなければならない…というワケなのです。

キャロルは、単に馬鹿馬鹿しくておかしいとすませるのでなくその馬鹿馬鹿しさを意識づけて納得させていきます。単発でみればナンセンスであっても、それを重奏させていくことによりノンセンスの世界に止揚させています。ここにキャロルの仕掛けがあり、おかしいなりに理が通っているのです。
センスは「意味」の他に五感、判断力、自覚、分別、気持ち、本心、価値などを表しますが、それらをないがしろにするのがナンセンスなのです。
しかし、ノンセンスは、当たり前が果たして当たり前なのかと疑問視して、根底から揺るがせて、新たなつながりや理屈をつけていくのです。従って、ノンセンスは、馬鹿馬鹿しいナンセンスに甘んじることなく、その根底から新たに構築されたものとなるのです。

ふぅ〜〜、ほんと、アリスの謎解きは、なかなかに迷路です?

このような、ことばのおもしろさと、論理のおもしろさの展開が、アリスが単なる童話としてだけで片づけるのはもったいないと思わせる魅力と重なり、これまで長期に渡って大人までも惹きつける要因となっているのでしょう。

では、最後にアリスの夢の話しから〜。
夢から覚めたアリスは、はじめてすべてが夢物語であることがわかります。
「なんて、おもしろい夢だったのでしょう」と、アリスが語りだした話を聞いたお姉さんが、その冒険話の夢の謎解きをして、すべてはいつか退屈な現実に戻ると見抜き、「不思議の国の夢(the dream of Wonderland )」としてまとめました。
そして最後に、お姉さんはアリスが大人になっても、このhappy summer daysを思い出すでしょうと締めくくります。

果たして、夢の国をみたのは誰だったのでしょうか〜ですね?

ぐっとくるのは、アリス物語を結ぶ巻頭詩と巻末詩の紹介です。
詩の中でアリスは、夏の日の思い出の中のただひとりの夢の子(the dream-child)と詠われ、巻末詩ではその楽しかった夏の日を懐かしんで、「この人生は夢、夢、夢(Life, what is it but a dream?)」と終わっています。

キャロル自身のアリスへの永遠に届かない想いと相まって、なんとも切なく、そして美しい…。この詩だけでも英語で読む価値はあるかもしれませんね!?
ところでみなさん、映画を観る前に読むか、観てから読むか?
アリス入門編としてもおすすめの一冊との出会いに、ますますアリスへの思いが募る私でございます。

〜たちのゆみこ〜