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『三輪山神話』そうめん物語ー「そうめん」で暑気払いー

突然ですが、暑い季節になりますと、喉越しの良い「そうめん」がとっても美味しいですね。
そこで今月の『めーるきっず通信』では、夏の食「そうめん」にまつわるお話をご紹介したいと思います。

えぇ〜、先月の『卵』に続いて、今月も、また『食』についてですかぁ〜って言われそうなのですが、体力消耗が気がかりな季節ですからこそ、今月も『食』についてのお話しに、しばし、おつき合いください!!

さて、みなさん、今では「そうめん」の製法にも機械化が進んでいますが、昔は、ほとんど職人さんが手延べで、作られていたことはご存知でしたでしょうか?

『厳寒の朝、一塊の小麦粉を、その日の気温と湿度に応じた濃度の塩水で練り、円盤状に引き延ばし、渦巻に切れ目を入れる。次にそれに、綿実油を塗りながら棒状に練り上げ、木の盥(たらい)にあたかもヲロチ(大蛇)がとぐろを巻くかのように巻入れ、一日熟成させる。翌日そのヲロチを手で練りながら無限に細くし、二本立ての糸巻に巻取る。巻き取った糸は風呂と称する木箱に密封し、さらに熟成させる。翌日、風呂から糸を出し、機という織機にかけ、横枠を少しずつ移動させて麻糸のように細くする。白い経糸のみの織物となったそうめんは、この機に立てたまま、天日で乾燥させる。名人の手延べにかかると、およそ1キログラムの小麦粉は、切れることのないおよそ1.5kmの0.3mm径の1本の糸と化す。』と、文献にも記載されています。

このお話の起原は、『白い大蛇、ヲロチが糸になる・・・。』というもので、これは、素麺で有名な三輪山神話から伝えられてきたものです。

『三輪山神話』によると、『昔、とても美しい玉依姫がいました。そこへ類稀な美と威厳を備えた男が夜半に忽然と現れます。名前も分かりませんが、夜毎にやってきて、寝所をともにする間に、自ずから身ごもりました。
そこで、怪しんだ両親は、その男の名前を知ろうとして娘に寝床の前に赤土をまき、糸巻きの麻糸に針をつけ、その人の衣の裾に刺しなさいと教えました。
その夜、教えられた通りにして、朝になってみれば、針をつけた麻糸は鍵穴を通って外に続き、その後をたどっていくと三輪山の神の社に続きました。
その男は三輪山の大物主大神で、身ごもった子は、神の子だと知りました。残った糸巻きには麻糸が三輪残っていたので、この地をミワと言うようになりました』と。

そうめん発祥の地と言われる「三輪そうめん」は、この大物主大神の五世の孫である大田子根子(オオタタネコ)が、祟神天皇の御世に疫病が流行した時に、神託によって探し求められ、大物主を祀ることで平癒し、その十二世の孫が初めて作ったと言われています。

また、この糸と針の伝説から、機織りの織姫さまにちなみ、七夕の時、「そうめん」を食べる風習ができたところもあります。

このように『神話』の中で、語り継がれてきた「そうめん」ですが、歴史の上で「めん」らしきものが登場したのは、そうめんの源流と考えられている索餅(さくへい)が中国から渡来したころのことです。
遣唐使が活躍し、中国の文化を積極的に取り入れた奈良時代(710〜784年)に、後に伝統食品として定着する「しょうゆ」「納豆」などとともに索餅が日本に持ち込まれたと記されています。
中国では後漢や唐の時代の書物にこの索餅の名称を見ることができます。

索餅とは小麦粉と米の粉を練り、それを縄のような形にねじった食品であったと考えられています。語源の上でも、索餅が索麺(さくめん)、素麺(そうめん)と変化したとするのが定説となり、索餅が「そうめん」の原型と言われています。
この索餅が我が国のめん文化の歴史の嚆矢となり、今日の「手延べそうめん」の祖先となったと言われています。

★麺類の系統年表★

麺類の系統年表

★七夕とそうめんの由来★
前述しましたように、「そうめん」が夏を代表する食べ物となったのは、七夕の故事を起源とする説があります。
後醍醐天皇の時代に宮中の儀式・作法等を集大成した延喜式(927年)には、「そうめん」の原型といわれる「索餅」が、旧暦7月7日の七タの儀式に供え物の一つとして供えられたとの記述があり、特に平安期には宮中でそうめんが七夕の行事に欠かせない供物とされるようになったようです。
また平安・鎌倉時代の記録には、七夕に「索餅・そうめん」を食べるようになったのは、「七夕に食べると疫病にかからない」とする中国の故事に則ったとの記述も見られます。
このほかにも、17世紀の料理の教科書ともいうべき『料理切方秘伝抄』には、織姫の機織りにかけた糸をそうめんに見たて、七夕にそうめんを食べると機織りが上達すると言われていたことも記されています。
現在のそうめんは、夏場の代表的食べ物として定着し、お中元の贈答品として人気のある商品となっていますが、このような贈答の風習は江戸時代中期にまで遡ります。当時民衆の間では七夕にそうめんを贈る習慣が普及するようになったとされ、これらの事柄から、そうめんが七夕行事と深い関係があったことが窺われます。いずれを正しいとする根拠は今では確かめようもありませんが、かなり古い時代から夏にそうめんを食べるという慣習ができあがってきたことは史実からも確かなようです。あるいは、「そうめん」は、冬の乾いた冷たい風で乾燥させ、夏頃に熟成して食べ頃になるという日本の気候が、このような食慣習や贈答の風習を作り上げたのかもしれません。
現在、乾麺の製造事業者で構成される全国乾麺協同組合連合会が、7月7日を「七夕・そうめんの日」と定められているのは、これらの故事来歴によるものです。
七夕に願い事を記した短冊だけでなく、そうめんを添えると願い事がより叶うかもしれませんね。

さて、さて、今夏も厳しい暑さがやってきそうです!!
喉越しのいい「そうめん」を味わいながら、故事の食習慣に思いを馳せみて、願い事に思いを託すのも、暑気払いのひとつになるかもです〜♪

・・・と言うことで、『暑中お見舞い』の言葉に代えて、みなさま、細〜く長〜くと、ご自愛の日々をお送りくださいませ。

たちのゆみこ